ジャズボーカル 松田オリビア圭子

ジャズボーカル 松田オリビア圭子のブログです。主にスケジュールのご案内を掲載します。

願望を具体化していくことが人間の本質的なタスクかもしれない

娘と青山「こどもの城」に外出。
普通に遊ぶつもりでいたけれど、室内プールの表示を見て
娘が「泳ぎたい」と主張。いきなりそんな。
でも、聞けば貸しタオルも水着もあるので、
10分後には泳いでました。
なんだ、望めば手に入るのね。
2時間弱、すいているプールで水と遊びました。


そのあと、娘が子どもだけでトライする創作ルームに入ったので
90分ほどひとりで街歩きしながら考え事。
望めばできることは、ふだん感じているより
じつはずっと多いし、種類も豊かなのではないか。


マッシュアップ開発をしていて、それから
オープンソースコミュニティーを見ていて感じることも少し似ている。
欲しい機能やデータソースは、探すと、なんとかすぐに使えるかたちで
提供されていることが頻繁にある。
Yahoo pipesなんかは典型的で、癖はあるけど、慣れてみれば
ブロック遊びみたいにして、さっきまでなかった機能が目の前でできていく。
開発者(もうこういう呼び名がしっくりこないくらい作業が違ってきてるけど)は
「この世にまだないものを望む」ことがメインの作業になり、そのあとは
それを具体化する作業をするわけだけど、
この手を動かす作業自体はびっくりするくらい手軽になっている。
構想に1ヶ月、実装は3日でしたという話を聞いても
驚かなくなってきている。(ソフトウェアの種類によるけど)
そして、そういう影響は着実に自分の仕事場にもやってきていて、
一昨日考えていたものは、今日は動くモジュールになっている。


それなのに。
身近な友人知人と話していて思うのは、自分や同じ世代くらいの人々は
自分自身のためになにかを具体的に望んでそれを具体化することについて
あまりにもオクテな大人に仕上げられていたのではないかということだ。


仕事の上でなら、誰かのために、会社のためとか顧客のためとかに
具体的なビジョンを持って熱心に開発をすることができる。
でも自分自身のために、個人の貪欲な望みから
なにか欲しいものや状態を思い描き、それを具体化することに
手馴れているひとは身近にあまりいないと感じる。
というか、私利私欲でなにかを望むことに恐怖心を持つように
進んできたタイプの人もたくさん知っている。


いろんな作業自体は技術的に自動化、簡便化して手離れできるようになっているいま、
残されている本質的なタスクは「望むものを具体的に思い描くこと」であり
それを練って実現可能にすることなのじゃないか。
自分のためが怖ければ、最初は大義名分を背負ってもいい。
でもきっとほんとうは自分自身のために
望むこと、それを具体化して結果を享受することを繰り返していくのが
自然に従った、ひとの持つ本質的な力を活かすことなんじゃないか。


そんなことを考えて歩く青山の街はきれいで、
そういえばこのお店ひとつ、商品ひとつだって
誰かが望んで具体化したからここにあるのだ、
私も負けないぞ(何に?)なんて思いつつ子どもを迎えに戻る。


工作室から出てきた娘は
ダンボールのギアで、紙の花や鳥や虫が動く、かわいらしい作品を持ってきた。
「なにを動かすかは自分で考えたんだよ」と自慢げ。
今日はよかったね。また遊ぼう。