プログラムをしていると、あるモジュールの入出力仕様を決める作業をする場面がある。
入出力を考えていると、自然と、
そのモジュールのコンセプトを把握しなおすことになる。
たとえば汎用性の高いモジュールを作るなら、
多くの他部品と連携しやすいよう、普及度の高い形式を採用するし、
その部分を組み込む、まだ見ぬ担当者が納得・把握しやすい仕様にする。
ある業界や機能に特化させるなら、その分野の常識を取り入れた仕様にする。
ところで人間の入出力についても同じように考えられるんじゃないか。
とりあえず会話について考えてみても、
どういう入力に反応するか、どういう入力はスルーするか、
出力の量と質とタイミング、感情性と論理性をどの程度織り込むか、
(表情や発声などはUIに近いからもう少し外側かな)
ということを自分が「デザインして運用管理している」と言える。
そのことにどれだけ自覚的になれるかは、成熟のひとつの指標でもあると思う。
自分というモジュールが他モジュールと連携しやすい仕様で運用しつづけられたら、
社会での生きやすさ、コラボしてモノを生み出すたのしみを増やしてくれるはず。
ここでもやっぱり、歌をやっててよかったと思う。
歌や演奏は、自分の出力を、コンセプトを考えてコントロールしていくことの連続だ。
これが応用できないはずがない。
(というか、いわゆる「情操教育」なんて呼ばれている分野の大事な価値のひとつは、
自分の出力をデザインする感覚を知る機会になる、ってことかもしれない)
…ここまでを日記に書いてた。つづけてみる。
自分の出力デザインを磨くには、自分の出力を客観的に観測できると強い。
「こうできているはず」で組み上げて、あとはリリースしっぱなしというのでは、
プログラム同様に、エラーやら未処理情報がだだ漏れってことがあるんじゃないか。
自分の出力を自分で観測しきれるようなレアケースもあるかもしれないが、
他者からのフィードバックは量質ともばらつきがあるものながら、
大事に活用するのがよさそうだ。
あっ、これは上記で言っている
「そのことにどれだけ自覚的になれるかは、成熟のひとつの指標でもあると思う」の
繰り返しというか具体化かもしれないな…